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明らかに多い白人の姿

 20日午後、南ア最大の都市ヨハネスブルクの商業施設に設置された屋外パブリックビューイング会場は、1500人のファンで埋め尽くされた。前回W杯で苦杯を喫した因縁の相手である日本との対戦とあって、30度を超える気温に負けじと声援を送った。
 ただ、ファンの人種を見ると、明らかに白人の姿が多かった。国内全体で8割を占める黒人の姿は、スポンサー席だった前列に座っていた人を含めても2割ほどしかいなかった。1人で観戦に訪れた黒人の警備員、ジェームズ・セボネさん(38)は「ラグビーは好きだけど、観戦中に白人から人種差別を受けたこともあった」と打ち明ける。
 南アでは、オランダなどから移住してきた白人政権によるアパルトヘイト政策が1990年代前半まで続き、白人専用のレストランや列車の客車、ビーチができあがった。黒人はタウンシップと呼ばれる居住区に住むことを余儀なくされ、土地の大半を白人が所有した。オランダ系などの白人の子どもが通う学校の多くではラグビーが教えられる一方、黒人の男子はサッカーに熱中。「ラグビーは白人のスポーツ」「サッカーは黒人のスポーツ」という「分断」が定着した。

ラグビーW杯で国民融和訴えた

 その状況を変えようとしたのが、アパルトヘイト政策の廃絶に人生を捧げたマンデラ氏だった。国家反逆罪で終身刑を言い渡され、1990年に解放されるまで獄中生活は約27年に及んだ。94年に黒人初の大統領に就任し、翌年に自国で開催されたラグビーW杯では国民の融和を訴えた。
 当時、代表選手は1人を除いて白人だったが、マンデラ氏は「マイボーイズ」と呼び、率先して白人に歩み寄った。劣勢とみられていた代表チームは決勝戦でニュージーランドを破り、初優勝。代表チームのジャージーを身にまとったマンデラ氏が優勝カップを手渡し、黒人も一緒になって喜んだ様子は、後に「インビクタス/負けざる者たち」として映画化された。
 初優勝から24年がたった今、白人と黒人の経済的状況は平等とはほど遠く、その是正が大きな課題になっている。昨年の黒人の失業率は約30%で、白人の約4倍。現在も全人口の10%に満たない白人が7割超の土地を所有し、白人がアパルトヘイト時代の差別用語を黒人に使い、逮捕される事例もたびたび起きている。
 W杯期間中、ヨハネスブルクの幹線道路の交差点では、南ア代表のジャージーを売ろうとする黒人の物売りの姿が目立つ。プレトリアのタウンシップに住むザンディレ・ンキラポさん(45)は「仕事で忙しく、日本戦があることさえ知らなかった」と話した。そもそも、W杯の試合は有料のケーブルテレビで放送しており、テレビ観戦ができない家庭も少なくない。
 さらに、今回のW杯期間中、南ア代表のエツベス選手がカラードと呼ばれる混血の男性に人種差別的な言葉を使った疑いがあるとして、南ア人権委員会が告訴状を提出する事態が発生。本人は疑惑を否定しているものの、代表チームのイメージを損ねた。

黒人初の主将に

 ただ、ラグビー界には変化も生まれてきている。W杯の代表メンバーの2割強は黒人で、黒人のコリシ選手が初の主将に選ばれた。貧しい家庭に生まれ、実力でプロへの道をつかんだ苦労人だ。
 コリシ選手は米CNNの取材に、「我々は、他の人の役に立つために存在していると分かっている。スプリングボクス(南ア代表の愛称)やチーム、そして南アフリカの人々に誇りを与えたい」と話した。
 20日にあった日本戦で、南ア代表の勝利を白人のファンらと抱き合って喜んだセボネさんは、黒人の主将が優勝カップを白人のメンバーらと掲げる姿を期待する。準決勝のウェールズ戦も観戦する予定だ。「チームが勝つことで、白人も黒人も全ての人が熱狂するはずだ。スポーツは、私たちを一つにする力がある」